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Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館

コラム

公益財団法人 本間美術館 [山形県 酒田市] > コラム > 2017年 > 4月

初代館長・本間順治氏と日本刀

学芸員:阿部 誠司

開館70周年記念特別展「館長が選ぶ珠玉のコレクション」には、初代館長・本間順治氏に関係する作品も出品されています。
その中でも、日本刀研究家であった順治氏ゆかりの刀剣についてお話します。

 

 

日本刀研究家で文学博士、初代館長・本間順治

本間順治氏は、山形県酒田市に生まれました。
昭和3年に国学院大文学部国文科卒。在学中に刀剣鑑定学を学び、卒業後は文部省宗教局国宝調査室に国宝調査嘱託として入省し、刀剣調査を行いました。
戦後は、昭和22年の本間美術館開館にともない館長に就任。
また、国立博物館(現・東京国立博物館)調査課長事も務め、昭和25~35年まで文化財保護委員会(現文化庁)美術工芸品課長となります。
この間に日本美術刀剣保存協会の設立に関わり、二代会長となりました。

  

平成29年3月31日をもって代々木での刀剣博物館の展示は終了しました。
刀剣博物館は平成30年初春に両国の新刀剣博物館において展示再開の予定です。

 

文学博士でもあった順治氏は、戦後多くの美術品が流出する中で
与謝蕪村の≪自筆句稿貼交屏風≫(山形県指定文化財)を発見し、本間美術館へ寄贈しています。

 ≪蕪村自筆句稿貼交屏風 呉春画≫

 

 

 

日本刀は日本人の魂であり芸術品

戦後、連合国側は日本刀の製作と保存を禁止し、現存する刀をすべて没収しようとします。
この時、連合国側とねばり強く交渉し、
日本刀の芸術性を認めさせ、美術刀剣の保存を実現した功労者が本間順治氏でした。

順治氏は「日本刀は武器ではなく、日本人の魂であり芸術品でる」と強く訴えたそうです。

 

この行動に感銘を受けたのが、アメリカの刀剣愛好家・ウォルター・コンプトン氏でした。
コンプトン氏は、日本人の魂を日本へ還すべく、
山形県ゆかりの日本刀『月山』2口を本間美術館へ寄贈してくれました。

コンプトン氏寄贈の『月山』は、現在、美術展覧会場と清遠閣に展示しています。

 ≪太刀 銘月山作≫ 室町時代初期(酒田市指定文化財)

 ≪太刀 無銘≫ 室町時代

 

 

山形が生んだ名刀『月山』

山形県の中央に位置する月山は、平安時代以来発展した出羽三山修験道の名山で、
この月山を銘とする刀工が当時から存在しました。
月山派の作風の特徴は「綾杉肌()(月山肌)」と呼ばれる、
うねり流れる模様に渦巻のような杢目を交える肌模様にあります。

現在展示中の2口では、市文にもなっている≪太刀 銘月山作≫が、模範的な美しい綾杉肌を表しています。
また、太刀は江戸時代に入ると使いやすいよう短く削る「磨上(すりあげ)」がなされる場合がほとんどなのですが、この太刀は作刀当時から「うぶ」な状態で遺っている点でも大変貴重だと言えます。

 

 

また、順治氏に関連する作品として、近年、息子の本間紀男氏から寄贈された≪古代鉾≫があります。

 ≪古代鉾≫ 奈良時代ヵ

「鉾」は古墳からの出土品がほとんどで、
現在は正倉院の御物として遺る以外は無いと言ってよいほど希少なものです。
茎を柄に挿す「槍」とは違い、柄との接合部分である茎が袋状になっているのが特徴です。
武器としてだけではなく、祭礼用としても使われていました。
この鉾は、順治氏が入手し、きれいに研いで大切に保管していたものです。

この他にも、日本刀研究家として刀剣に関する膨大な研究資料を遺しています。

 

 

本間順治氏は、戦後の混乱で多くの日本的文物が失われていく中で、
文化・芸術に代表される日本人の魂を必死で守った偉大な人物だと思います。

刀剣博物館が開館し、本間美術館で刀剣に関する大きな展覧会を開催することななくなりましたが、
順治氏ゆかりの作品たちから、その志がひしひしと伝わってくるようです。

 

 

2017.04.28