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コラム

公益財団法人 本間美術館 [山形県 酒田市] > コラム > 2018年 > 6月 > 19日

奥州藤原氏誕生のきっかけとなった後三年合戦を描いた絵巻

学芸員:須藤 崇

《後三年合戦絵詞 摸本》 榊原香山筆ヵ 江戸時代中期 本間美術館蔵

後三年合戦とは、11世紀後半(1083~87)に、源氏の棟梁・源義家(八幡太郎)が出羽の豪族・清原氏の一族内での争いに介入して起きた戦いです。清原清衡(後の奥州藤原氏の祖・藤原清衡)に源義家がつき、清衡の弟・清原家衡に叔父の清原武衡がついて激戦を繰り広げましたが、戦いの結果、清衡・義家側が勝利しました。
その後三年合戦の様子を伝える絵巻物として知れているのが、東京国立博物館所蔵の重要文化財《後三年合戦絵詞》(貞和3年(1347)作、※以下、原本とする)です。もとは鳥取藩・池田家旧蔵で、後三年合戦を描いた絵巻物としては現存する最古のものとされています。
この原本からは数多くの摸本がつくられ、本間本とも称される当館所蔵の《後三年合戦絵詞》もその一つになります。当館所蔵の《後三年合戦絵詞》は、書付によれば、伊予大州藩・加藤家が鳥取藩・池田家より原本を借り、それを有職故実の大家・榊原香山(1734~98)が写し取ったものとされています。また、詞書については、松平定信(1759~1829)を通じて江戸城にあった摸本(青木某という人物が原本より写したもの)から写し、上・中・下の三巻ものに完成したとされています。伝来については不明ですが、酒田・本間家に伝わった後、当館の所蔵となりました。
数ある摸本の中でも甲冑の精細な描写に優れており、武士のすがたを伝える絵巻としても貴重なもので、三巻にわたって合戦の諸場面が描かれています。

上巻 【雁行の乱れ】


上巻には「雁行の乱れ」といわれる後三年合戦の中でも特に有名な場面があります。
清原武衡は、金沢柵(秋田県横手市金沢)を目指して軍を進める源義家に奇襲を仕掛けようと伏兵を放ちます。薄の原に身を潜めて義家を待ち受けていた伏兵でしたが、義家が上空を飛ぶ雁の乱れに気付いて、清原軍の伏兵がいることを察知し、これを討ち取ります。

■中巻 【藤原千任の罵倒】


中巻には清原方の藤原千任が無数の矢が突き刺さった櫓の上で、源義家に向かって罵倒する場面があります。罵倒された義家は込み上げる怒りと戦いながらも、いきり立つ郎党たちを静めている様子がわかります。

下巻 【金沢柵陥落】


籠城していた清原方でしたが、城内の食糧が少なくなり、清原武衡は降伏を申し入れます。しかし、源義家が受け入れなかったため、清原方はついに自ら金沢柵に火を放ちました。黒煙が立ちこめる中、腕や首を切り落とされた者の死体が転がっており、まさに生き地獄となっています。

今回ご紹介した《後三年合戦絵詞》は、現在開催中の「武士の装いとたしなみ」展(7/24まで)で展示しておりますので、この機会にご覧いただければと思います。

2018.06.19