芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館

公益財団法人 本間美術館Hommna Museum of Art

コラム

与謝蕪村、最後の願いを叶えた屏風

学芸員:阿部 誠司

18世紀の京都で、伊藤若冲や円山応挙、曾我蕭白らとともに美を競い合った与謝蕪村は、画と俳句という二つの分野で名を成した人物です。

蕪村は池大雅とともに南画を大成させ、当時から絵師として人気がありました。
しかし、一方で松尾芭蕉を尊敬し俳人として生きることを望み、出世や権威を好まず、生涯貧しい暮らしをおくったようです。

 

そんな蕪村には溺愛する娘・くのがおり、亡くなるまで残していく娘を気がかりにしていました。
娘・くのは一度嫁に行きましたが、離縁され蕪村とともに暮らしていたのです。

その後、娘・くのはどうなったのでしょう…

実は、蕪村の死後、門人たちが くの の結婚資金をつくるために、蕪村の自筆句稿の断簡に挿絵や鑑定をつけて売りに出したことが分かっています。
これらは「嫁入り手」と呼ばれ、当館で所蔵する≪蕪村自筆句稿貼交屏風 呉春画≫(山形県指定文化財)もその一つです。

 

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この屏風は六曲一双で、右隻には春夏、左隻には秋冬と、四季の順に句が貼り交ぜられています。
生前は自らの句集を作ることのなかった蕪村の計808もの俳句をみることが出来ます。

一葉(句稿一枚)は、縦18.3×横31.0センチ。約15句書いてあり、句頭には朱で「○」「へ」など、蕪村が自信作に合点を付けたであろうチェックがついています。

 

また、弟子の呉春が句意に因んだ画を添えています。呉春もまた四条派という一大流派の祖となる京都を代表する絵師です。
画面左下には「これは蕪村の草稿也。所々句意を画て真跡の証とす。月渓呉春」の識語と、「呉春之印」の印があります。

 

蕪村がこの世に残した最後の願いを叶えるべく弟子たちが一丸となった、物語のある作品です。
企画展「円山応挙と京都画壇」にて、5月10日まで展示公開しています。(右隻のみ)
この機会にぜひご覧ください。

 

2016.04.28


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