芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館

公益財団法人 本間美術館Hommna Museum of Art

コラム

江戸絵画史の流れ Part②

学芸員:須藤 崇

太平の世となった江戸時代は、多くの個性的な画家が登場し多彩な絵画が生み出された、まさに百花繚乱ともいうべき様相を呈した時代です。

開催中の開館70周年記念特別展「江戸絵画の魅力」では、当館が所蔵する江戸絵画の名品と郷土に伝わった優品の数々、全47点を展示しています。
このコラムでは、17世紀初頭から19世紀後半に至るまでの約260年間の江戸時代の絵画史の大きな流れを、展示作品とともに紹介します。

第2回目は、【江戸時代中期-18世紀初頭から18世紀末まで-】についてです。

江戸時代中期は、狩野派や土佐派が創造性を失い衰退していくなかで、上方の民間画壇が成熟し、中国やオランダからもたらされた絵画や画譜、遠近法や陰影法といった西洋画の技法の影響を受けた、池大雅(1723~76)・与謝蕪村(1716~1783)らの文人画(南画)、円山応挙(1733~1795)を祖とした円山派(円山・四条派)などの特徴ある流派や、伊藤若冲(1716~1800)や曾我蕭白(1730~81)ら個性的な画家が登場しました。

■文人画(南画)
文人画は、職業として絵を描かない文人と呼ばれる人たちが描いた絵のことです。文人とは、もとは中国の士大夫と呼ばれる政治に関わった人たちのことを指します。文人たちの中には中国で山水画を描く様式の一つである南宗画の画風を用いるものが多く、その南宗画に影響を受けて日本で描かれた絵画を、日本の文人画または南画(南宗画の略称)と呼ばれています。その文人画の大成者として並び称されたのが、京都で活躍していた池大雅と与謝蕪村でした。その後、関西で広まった文人画は、中山高陽によって江戸へ伝えられることになります。

 

・池大雅《山水図 宮崎筠圃賛》 江戸時代中期  山形県指定文化財  ※個人蔵
中国の古画や画譜を独学し、やまと絵や琳派などの諸画派や西洋画の遠近法を取り入れて、独自の画風を形成したのが池大雅です。本図は、春景と夏景を描いた山水図で、春景は水墨を主とした米点法、夏景は淡彩の点描法で描かれています。洗練された米点と点描の表現に大雅の優れた感性が感じられる作品です。

 

 

・与謝蕪村《寒山拾得図》 宝暦9年(1759)  ※個人蔵
俳諧師としても高名な与謝蕪村。「俳画」(俳句を伴った略筆の絵画)というジャンルを確立する一方で、清人画家・沈南蘋の写生画法に影響を受けた作品や、美しい墨と淡彩による詩情的な作品を多く描いています。
「寒山拾得図」は、蕪村が好んだ画題の一つとしても知られています。

 

■円山派(円山・四条派)
18世紀後半の京都画壇を代表する画家・円山応挙。その応挙を祖とした流派は「円山派」と呼ばれています。応挙が創造した平明な写生画法は、それまでの京都に根付く伝統的な絵画観を一変させるほどの衝撃で、応挙の写生画が京都を席巻しました。応挙の弟子の中には、応挙の代理として数々の障壁画を制作し、ひときわ個性的で異彩を放った長沢芦雪(1754~99)がいます。また、門下の呉春(1752~1811)が「四条派」と呼ばれる一大流派を確立したことから、この流派は「円山・四条派」とも呼ばれています。

・円山応挙《虎皮写生図》 江戸時代中期
虎描きの名手として名を馳せた円山応挙。実物の虎をみることができなかったため、猫をモデルにしたといわれています。
本屏風は、虎の毛皮を実見して描いたと思われる写生図で、毛並みや模様を正確に写し、実物大に描いています。各部の寸法を記した記録、豹の毛皮の写生、小さな虎の絵とともに、二曲一隻の屏風に貼られており、貼りきれなかった後足と尾の部分は裏側に貼られています。実物の虎を見ることができなかった応挙のあくなき探求心を示す作品です。

 

・長沢芦雪《四睡図》 寛政年間(1789-1799)後期頃 酒田市指定文化財
一匹の虎と豊干禅師に、弟子の寒山と拾得の三人が寝ている姿を描いた「四睡図」と呼ばれるものです。豊干禅師は、中国・唐時代頃の僧で、寒山と拾得の師にあたります。禅の境地を描いた作品ですが、それぞれがユーモアある表情で、本来は猛々しい虎も心地よさそうな寝顔で描かれています。

 

■奇想の画家
池大雅や与謝蕪村、円山応挙の出現した同時期の京都で、ひときわ異彩を放ち、個性を打ち出した作品を描いたのが、伊藤若冲と曾我蕭白でした。京都画壇に旋風を巻き起こした若冲と蕭白は、奇想の画家としても知られています。

伊藤若冲は、身近な動植物を対象とし、特に鶏を描いた画家として知られています。もとは京都の青物問屋「枡屋」の主人でしたが、四十歳で弟に家業を譲り、絵画制作に没頭します。写実と装飾性をあわせもつ独自の画風を確立し、「筋目描き」や「枡目描き」といった技法を生み出しました。《動植綵絵》(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)のような色彩豊かな着色画が知られている一方で、略筆の水墨画も数多く描き残しています。

・伊藤若冲《鶏図》 江戸時代中期 ※個人蔵
得意の片足をあげた姿態の鶏を描いた作品です。細かな羽毛の描写には「筋目描き」を用いており、若冲水墨画の真骨頂を示しています。

 

・伊藤若冲《葡萄に鶏図》 寛政2年(1790) ※個人蔵
本図の鶏は、姿勢や羽毛の描写など繊細かつ現実感をもって描かれています。葡萄の描き方は、中国・明時代の葡萄図が源になっているといわれますが、葉に表現された虫食いや斑点、くるくると巻きつくような蔓の描写には、若冲の個性が表れています。

 

曾我蕭白は、人物画の奇怪な表現、強烈な色彩感覚、常人離れした逸話も相まって、個性的な画家の代表として知られています。円山応挙の端正な画風とは対極の立場にあり、室町時代の画家・曾我蛇足軒の末裔を自称しました。極彩色の作品よりも、水墨を基調とした作品が多く、その大胆かつ的確な描写力は強烈な印象を与えてくれます。

 

・曾我蕭白《東方朔・西王母図》 江戸時代中期 ※個人蔵
中国の西王母(右)と東方朔(左)を描いた作品です。西王母が植えた不老不死の効き目がある桃の実を、東方朔が盗んだという逸話に基づいて描かれたものだと思われます。

 

■洋風画
西洋画に影響を受け、西洋風に描かれたのが洋風画です。18世紀に入ると、八代将軍・徳川吉宗の洋書の解禁によって西洋文物をはじめ、銅版画や油彩画が民間にも広まります。西洋画の技法に関心を持った秋田藩主の佐竹曙山(1748~85)と藩士の小田野直武(1749~80)の2人によって「秋田蘭画」と呼ばれる洋風画が創造されると、さらに、司馬江漢(1747~1818)が日本初の銅版画制作に成功し、独自の油彩画も完成させました。

司馬江漢《中州夕涼図》 天明年間(1781~89) 酒田市指定文化財
本図は手彩色の腐蝕銅版画で、江戸の納涼地として栄えた中洲の風景を表しています。江漢には珍しい夜景の作品で、川面に光る屋形船の灯りの反射が印象的です。上部の題字は反転し、右余白の「司馬江漢画」は正対しています。

 

最終回は、【江戸時代後期-18世紀末から19世紀後半まで-】について紹介します。

2017.08.17


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