公益財団法人 本間美術館は、「公益」の精神を今に伝え、近世の古美術から現代美術、別荘「清遠閣」の緻密な木造建築の美、「鶴舞園」、さらには北前船の残した湊町酒田の歴史まで楽しめる芸術・自然・歴史の融合した別天地。

公益財団法人 本間美術館

Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館

企画展のみどころ

企画展のみどころ

公益財団法人 本間美術館 [山形県 酒田市] > 展示スケジュール > 【美術展覧会場】本間家伝来の宝もの 第一部 絵画と歴史資料

開館75周年記念展酒井家庄内入部400年記念本間家伝来の宝もの第一部 絵画と歴史資料

  • 会期/2022年4月10日(日)~ 5月31日(月)
  • 本間美術館・美術展示会場
  1. 開館時間/午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
  2. 休 館 日/無 休

戦後まもない昭和22年(1947)年5月に開館した本間美術館は、今年で開館75年の歴史を迎えました。その間、多くの篤志家や個展を開催した作家からの寄贈、美術館活動における収集によって、幅広いジャンルのコレクションが収蔵されるようになりました。特に、江戸時代に東日本を代表する豪商、日本一の大地主として知られるようになった本間家から寄贈された美術工芸品が、コレクションの柱となっています。
本展は、開館75周年記念事業として、酒井家庄内入部400年を記念し、本間家に伝来した宝ものを二部構成で紹介する企画展です。第一部では、狩野派や円山応挙などの絵画と、戦国武将たちの手紙などの歴史資料とともに、本間家が酒井家から拝領した絵画を紹介します。また、現在放送中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にあわせ、国指定重要文化財『市河文書』より北条義時や木曽義仲の文書も期間限定で公開しますので、お楽しみ下さい。

2022年3月21日山形新聞掲載

学芸員のギャラリートーク

「本間家伝来の絵画と歴史資料」
◉4月24日(日)午前11時より

館長のギャラリートーク

「酒井家から拝領した絵画」
◉5月15日(日)午前11時より※新型コロナウイルス感染拡大の状況によっては変更・中止の可能性もあります。

本間家伝来の歴史資料

北条義時消息(承久3年・1221) 重要文化財『市河文書』

期間限定公開:5/3~8現在放送中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」主人公の北条義時の文書北条義時消息(承久3年・1221) 
重要文化財『市河文書』

北条義時が市河六郎刑部に宛てた書状。後鳥羽上皇が北条義時を追討するために起こした「承久の乱」の折、越後国蒲原(現在の新潟県糸魚川市)で上皇方の仁科盛遠らと戦った市河六郎刑部の軍功を称えた内容が記されています。

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伊達政宗書状 (天正16年・1588)9月10日 酒田市指定文化財

伊達政宗書状
(天正16年・1588)9月10日 
酒田市指定文化財

伊達政宗(1567~1636)が羽越国境の小国(山形県鶴岡市)の領主とされる小国彦二郎に宛てた手紙です。上杉景勝の家臣・本庄繁長の庄内制圧を称賛した内容が記されています。
天正16年(1588)8月、本庄繁長の大軍は、最上義光に制圧された出羽庄内を奪回すべく、十五里ヶ原(山形県鶴岡市)で最上勢と戦い大勝し、庄内を取り返すことに成功しました。

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本間家伝来の絵画

三十番神像 室町時代(15世紀)重要美術品

三十番神像
室町時代(15世紀)
重要美術品

三十番神とは、1ヶ月30日間、毎日交代して国や法華経を守護する三十の神々のこと。
法華経や潅頂経の説にもとづいて最澄が比叡山に祀ったのが始まりとされ、平安末期に一般に広まった。鎌倉時代には天皇の守護神となり、仏教系・神道系など各種の三十番神像が描かれている。

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異人形容図巻 小原慶山 江戸時代中期(18世紀前半) 酒田市指定文化財

異人形容図巻 小原慶山
江戸時代中期(18世紀前半) 
酒田市指定文化財

小原慶山(?~1733)は長崎派の画家で、長崎奉行所から唐絵目利と御用絵師に任ぜられた。現存する作品は非常に少なく、人物画・花鳥図の他に、喜多元規の作風を踏襲した黄檗画像が確認されている。長崎港に来航した異人の風俗を描いた図は、江戸初期から数多く制作された。

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鼬図 円山応挙 明和7年~安永元年(1770~72) 山形県指定文化財

鼬図 円山応挙
明和7年~安永元年(1770~72) 
山形県指定文化財

円山応挙(1733~1795)は丹波穴太村(京都府亀岡市外)の農家に生まれ、京に出て石田幽汀について狩野派を学び、さらに西洋画と中国画の写実法を研究し、円山派の祖となる。
この作品には、輪郭線を用いず細筆による毛描きのみで表現した鼬の側面図と、様々な角度から写した五図が描かれている。体毛の柔らかさ、体のしなやかさをよく捉えており、応挙の卓越した描写力を伝える。円山派の森寛斎の遺愛品として伝来し、「鼬」の墨書が応挙の自筆と認められている。

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酒井家からの拝領品

呉越戦絵巻 江戸時代前期~中期(17~18世紀)

呉越戦絵巻 
江戸時代前期~中期(17~18世紀)

中国、春秋時代の後期、「呉」の国と「越」の国。呉王夫差と越王勾践とがしばしば戦い合った。春秋時代は都市国家の盟主どうしの戦い。呉は闔閭・夫差の2人の君主と名臣孫武・伍子胥、越は君主勾践と名臣范蠡の力により急速に勢力を拡大。呉は楚の首都を陥落させ、滅亡寸前に追い込むほどの力を見せた。さらに越を撃破し、黄河流域に進出して諸侯の盟主の座を晋と争った。しかし、一旦屈服した越の入念な準備に基づいた反撃により、呉は滅亡し、越も勾践の死後は振るわず、後に楚に滅ぼされてしまった。

寿老・鶴図 狩野典信 江戸時代中期(18世紀) 本間美術館保管

寿老・鶴図 狩野典信 
江戸時代中期(18世紀) 
本間美術館保管

狩野典信(1730~90)は、江戸幕府の奥絵師で木挽町狩野家の六代目。栄川院と称し、狩野派の伝統を踏襲しつつ、時に大胆な筆致による表現で新風を吹き込み、木挽町狩野家繁栄の基礎をつくりました。