公益財団法人 本間美術館は、「公益」の精神を今に伝え、近世の古美術から現代美術、別荘「清遠閣」の緻密な木造建築の美、「鶴舞園」、さらには北前船の残した湊町酒田の歴史まで楽しめる芸術・自然・歴史の融合した別天地。

公益財団法人 本間美術館

Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館

企画展のみどころ

公益財団法人 本間美術館 [山形県 酒田市] > 展示スケジュール > 戦没画家 岡部敏也 -天才が遺した25年-
日時:
2016年7月29日 – 2016年8月30日 終日 Asia/Tokyo タイムゾーン
2016-07-29T00:00:00+09:00
2016-08-31T00:00:00+09:00
酒田で生まれ、天才と言われた一人の青年画家が遺した作品。
戦地で描いた画帳戦地で描いた画帳

出陣 1937年(17歳)出陣 1937年(17歳)

平成28年7月29日(金)〜 平成28年8月30日(火)
※会期中は無休

■主催/公益財団法人 本間美術館
■共催/山形県・(公財)山形県生涯学習文化財団
■後援/酒田市・酒田市教育委員会

【ギャラリートーク】
8月11日(木・祝日)午後2時~(60分程度)

 日本画家として将来を嘱望されながら若くして戦死した岡部敏也は、大正9年に酒田市元米屋(現在の一番町)の染物店の長男として生まれました。
幼少より絵に親しみ、11歳の頃から日本画家・田中恵泉に師事します。酒田商業学校に入学すると、全国中等学校美術展で《木蓮》が入選。翌年には代表作とも言える《出陣》を制作しています。またこの頃、光丘文庫の依頼で《素戔嗚尊東征図》を描き、秩父宮・同妃殿下の台覧に供するなど、10代とは思えない大家の片鱗を見せ周囲を驚かせていました。
 昭和14年に東京美術学校日本画科に入学し、結城素明に師事します。同18年に美術学校を主席で卒業するまでが、岡部敏也にとって最も制作に打ち込み、画家として充実した期間でした。第5回日本画院展において日本画院賞を受賞。院友に推薦。第6回大日美術院展、奨励賞を受賞。第6回文展に入選。美校卒業作品の優等賞、などいかにその才能が評価され、将来を期待されていたかが窺い知れます。
 しかし、時代の波は残酷にも青年をのみ込みます。絵筆は銃へと変えられ、昭和20年、岡部敏也は満州で戦死することになります。そして後に、戦地で特別に絵筆を握ることを許され描いたという画帳《戦塵》が岡部家へ遺品として帰ってくるという奇跡もありました。
 本展では、岡部敏也の短くも輝かしい才能に溢れる生涯を通して、その画業をふり返ります。戦後70年を過ぎた今、天才と言われた一人の青年画家が遺した作品をしっかりと目に焼き付けて頂ければ幸いです。

※作品は全て個人蔵

戦没画家 岡部敏也 出品リスト

木蓮 1936年木蓮 1936年

知秋 1943年(23歳)知秋 1943年(23歳)
冬(角巻) 1943年(23歳)冬(角巻) 1943年(23歳)
砂丘 1942年(22歳)砂丘 1942年(22歳)
早春 1940年(20歳)早春 1940年(20歳)
自画像自画像
橋のある風景 1942年(22歳)橋のある風景 1942年(22歳)

【岡部敏也 略歴】

大正 9年(1920)   染物店を営む岡部家の長男として酒田市元米屋町に生まれる。
昭和 6年(1931) 11歳 この頃から田中恵泉に日本画の手ほどきをうける。
8年(1933) 13歳 酒田商業学校に入学。光丘文庫の要請で「素戔鳴尊東征図」を描き、秩父宮殿下御夫婦の台覧に供する。
11年(1936) 16歳 全国中等学校美術展に「木蓮」入選。
12年(1937) 17歳 「出陣」を制作。
13年(1938) 18歳 酒田商業学校を卒業。
14年(1939) 19歳 東京美術学校日本画科(定員20人)に入学。結城素明に師事。
荘内館に寄宿する。
17年(1942) 22歳 「第4回日本画院展」に〈子供〉〈婦〉を出品。〈婦〉を美術学校3年生が買い上げる。
「第5回大日美術院展」〈そと出〉を出品。
〈子供〉(そと出)をオットウ独逸大使夫人が買上げる。
18年(1943) 23歳 「第5回日本画院展」に〈農婦〉〈知秋(リンゴ園)〉を出品。
4年生〈農婦〉日本画院賞を受賞し院友に推挙され、美術学校買い上げとなる。
「第6回大日美術院展」に〈姉妹〉を出品。奨励賞を受賞し、美術学校買上げとなる。
「第6回文展」に〈知秋〉入選。
卒業制作〈山びこ〉により、優等賞として“印”と川合玉堂賞として“硯”を受け、美術学校買上げとなる。
9月繰上卒業によって、東京美術学校53回首席で卒業。
10月山形連隊に入隊。
昭和49年(1974)   9月、NHK総合テレビ、文化展望“祈りの画集”に収録、放映される。
51年(1976)   8月、NHKテレビ東北総局制作、“画家岡部敏也の生涯……絵筆は折られた“が放映される。
52年(1977)   8月、「祈りの画集」(日本放送出版協会)に掲載される。
10月、本間美術館で“戦没画学生 岡部敏也遺作展”開催。
53年(1978)   8~9月、東京・銀座、東京セントラル美術館での“青春の墓標――戦没画学生の遺作展”に出品。
平成 元年(1989)   8月、大阪・大丸心斎橋店での“学徒動員の戦争展”に出品。
9年(1997)   9~10月、本間美術館で“岡部敏也日本画展―25歳のまなざし―”開催。
12年(1999)   “無言舘収蔵作品による 戦没画学生「祈りの絵」展”山形市悠創館で開催。〈冬(角巻)〉他特別展示。
13年(2000)   羽黒町いでは文化記念館“郷土の人 芳賀準録と山形の戦没画学生展”で〈冬(角巻)〉〈出陣〉他展示。
19年(2007)   「SPOON」9月号、特集“画家、岡部敏也の青春”。
21年(2009)   7月4~11日庄内会場・鶴岡こぴあホール、14~20日山形会場・山形美術館。“戦没画学生遺作 祈りの絵展”〈知秋〉〈冬(角巻)〉〈出陣〉〈砂丘〉他特別展示。
7月25日、「山形平和劇場第24回公演」、朗読・劇“戦没画学生 岡部敏也の物語”を上演。
22年(2010)   7月31日~9月9日、酒田市美術館で“戦没画学生遺作「無言舘」祈りの絵展”〈知秋〉〈冬(角巻)〉〈出陣〉〈砂丘〉他特別展示。