公益財団法人 本間美術館は、「公益」の精神を今に伝え、近世の古美術から現代美術、別荘「清遠閣」の緻密な木造建築の美、「鶴舞園」、さらには北前船の残した湊町酒田の歴史まで楽しめる芸術・自然・歴史の融合した別天地。

公益財団法人 本間美術館

Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館

企画展のみどころ

公益財団法人 本間美術館 [山形県 酒田市] > 展示スケジュール > 本間美術館開館70周年記念特別展 館長が選ぶ珠玉のコレクション

開館70周年記念特別展 館長が選ぶ珠玉のコレクション

■主催/公益財団法人 本間美術館 
■共催/山形県・(公財)山形県生涯学習文化財団 
■後援/酒田市・酒田市教育委員会

◎会 期

・開館時間/午前9時〜午後4時30分(入館は午後4時まで)
・入館料/一般900円(810円)学生400円(350円)小・中学生以下は無料

※()内は20名以上の団体料金になります。
※上記入館料で国指定名勝「本間氏別邸庭園(鶴舞園)」「清遠閣」もご覧いただけます。

◎会 場

公益財団法人本間美術館・美術展覧会場

【館長によるギャラリートーク】

・4月23日(日)午後2時~ 
・5月14日(日)午後2時〜
(60分程度)

本間美術館開館70周年記念特別展にむけて

 戦後まもない昭和22年(1947)に開館した本間美術館は、今年で開館70周年を迎えました。本間美術館には、本間家や篤志家からの寄贈、美術館活動のなかで収集された、絵画や書、茶道具や漆器などの工芸品、古文書、浮世絵など、多岐にわたる幅広いジャンルと時代のコレクションが収蔵されています。
 本展は開館70周年を記念し、現在の8代目館長・田中章夫の審美眼によって選ばれた優品をご紹介する特別展です。本間美術館で40年近く学芸員を務めた田中館長は、日本と中国の古画に精通し日本文学にも詳しく、今も現場で活躍しています。また、これまでに多くの作家や篤志家と交流し、寄贈や収集に立ち会ってきました。今回選ばれた作品は、そんな館長の知識と経験から見出された深い魅力と唯一無二の価値をもっています。
 現在は東京国立博物館に寄託しており、10年ぶりに里帰りする重要文化財《蒔絵二重短刀箱》をはじめ、県指定文化財《葡萄栗鼠蒔絵刀筒》・小野道風《絹地切》や、刀剣博物館から数10年ぶりに里帰りする市指定文化財《太刀 銘月山作》は必見です。この展覧会を通して、本間美術館の70年のあゆみを振り返るとともに、館長が選ぶ珠玉のコレクションをご堪能いただければ幸いです。

本間美術館の70年を迎えて、重責ある館長の足跡

 本間美術館は昭和22年5月に開館してから今年、70年目を迎えようとしています。太平洋戦争の敗戦直後の開館は、社会の混乱の中で人心の荒廃を危惧し、美術の鑑賞によって日本人に自信と誇りを取り戻すことと、人々が広く美術を楽しめる社会を築くことを目的としたものでした。地域貢献を理念とする本間家と市民が協力して運営し、芸術文化の拠点美術館として、多彩な展覧会と地域の美術活動の支援を行っています。
 日本刀研究家で文学博士の初代館長 本間順治、美術全般に精通し確かな審美眼の持ち主である二代 本間祐介、郷土の芸術・歴史の研究に尽力する三代 佐藤三郎、この三人の館長たちの美術館にかけた情熱によって、本間美術館の基礎がつくられました。その後は、歴代館長が価値観の多様化する社会で美術館の活性化に努めますが、美術館離れもあり市民との距離ができ、美術館の使命や存在が問われています。
 美術は人間の生み出した宝です。人間の心を豊かにするものです。70年を迎えるにあたって、創立の原点を心に留め、市民と協力して地域の誇りとなり、未来を拓く美術館をつくることができればと思っています。

本間美術館館長田中章夫

  •  初代館長本間順治
  •  二代館長本間祐介
  •  三代館長佐藤三郎
  •  八代館長田中章夫

◎主な展示作品

葡萄栗鼠蒔絵刀筒

山形県指定文化財

ぶどうりすまきえかたなづつ葡萄栗鼠蒔絵刀筒

桃山時代~江戸時代初期(16世紀後半~17世紀前半)※昭和40年(1965)度に収蔵(本間家寄贈/東京国立博物館寄託)

 刀筒は、大名などが外出時に刀の運搬に用いたものです。この太刀形に湾曲した刀筒は、鐔の部分が膨らんでおり、印籠蓋造に仕立てた口には掛金具と蝶番が取り付けられています。総体を黒漆塗りとし、葡萄と栗鼠を曲面全面に巧みに描き、絵梨子地の手法による変化に富んだ表現を取り入れています。
 近世初期の洗練された作風を示す古作の刀筒として貴重な作品です。

葡萄栗鼠蒔絵刀筒

重要文化財

まきえにじゅうたんとうばこ蒔絵二重短刀箱
うちばこきりつなぎそとばこ うたどころひし内箱 桐繋/外箱 歌所菱

桃山時代(16世紀後半)※昭和40年(1965)度に収蔵(本間家寄贈/東京国立博物館寄託)

 豊臣秀吉の没後、伊達政宗に贈られた短刀「鎬藤四郎吉光(しのぎとうしろうよしみつ)」を収めるためにつくられた短刀箱です。内箱は黒漆塗の器表に五七桐繋紋。外箱は金平蒔絵で歌所菱を表しています。和風と異国風の意匠の妙と入念なつくりが、桃山時代の華やかさを伝える漆芸の逸品です。

絹地切 小野道風筆

山形県指定文化財

きぬじぎれ絹地切
おののとうふう小野道風 筆

平安時代(10世紀)※昭和40年(1965)度に収蔵(本間家寄贈/東京国立博物館寄託)

 平安中期の能書家、三蹟の一人で王義之の再生と言われた小野道風が、貴族に愛読された『白氏文集(はくしもんじゅう)』の巻第4・新楽府の「澗底松」(かんていのまつ)を揮毫した断簡です。やわらかく曲線的な表現で優美な「和様の書」の風格を示しています。
津山藩主松平家に伝来し、本間家を経て本間美術館の収蔵となりました。

太刀 銘月山作

酒田市指定文化財

た ち太刀
めいがっさんさく銘月山作

室町時代初期(15世紀)※昭和41年(1966)度にウォルター・コンプトン氏寄贈(刀剣博物館寄託)

 月山は、鎌倉時代から室町時代にかけて出羽国月山の麓を拠点として活躍した刀工の一派です。月山の特徴は、刀身全体に波状の模様「綾杉肌(あやすぎはだ)」が表われていることで、「月山肌」ともいわれています。
 この太刀は月山の典型的な作風を示したもので、表に「月山作」の銘があり、室町時代初期の作と考えられています。アメリカの愛刀家、ウォルター・コンプトン氏より当館に寄贈されました。

『市河文書』 木曽義仲下文

重要文化財

いちかわもんじょ『市河文書』
きそよしなかくだしぶみ木曽義仲下文

治承4年(1180)11月13日※昭和40年(1965)度に収蔵(本間家寄贈)

 平安末、源平争乱の時代、歴史の表舞台で一瞬の光芒を放って滅んだ英雄、木曽義仲。その直筆の花押が残る唯一の文書。治承4年9月に挙兵した義仲が、信濃を制圧し在地武士の中野資弘の所領を安堵したものです。 国指定重要文化財『市河文書』は、平安時代末から戦国時代末に至る約400年間にわたって、奥信濃(長野県下高井郡北部)を支配していた豪族市河氏に伝えられた信濃国(長野県)を代表する武家文書(全16巻/146通)です。

太刀 銘月山作

重要美術品

ぶつほんぎょうじっきょう仏本行集経

奈良時代(8世紀)※昭和40年(1965)度に収蔵(本間家寄贈)

 唐様式の謹厳雅勁な書風で、奈良時代における天平写経の名品。聖武天皇の后である光明皇后が、父・藤原不比等、母・橘三千代のために書写した一切経の一巻です。皇后が写経所組織の総力を挙げて行った事業で15年を費やし7千巻余りを書写させました。両親への思いの深さが伺われます。

百万塔 附自心印陀羅尼

酒田市指定文化財

ひゃくまんとうつけたりじしんいんだらに百万塔 附自心印陀羅尼

奈良時代(8世紀)※昭和40年(1965)度に収蔵(本間家寄贈)

 百万塔は、宝亀元年(770)に孝謙天皇(こうけんてんのう)(後の称徳天皇(しょうとくてんのう)の勅願によってつくられた木製の小塔です。塔身の中には延命や除災を願う経文「陀羅尼」が納めています。当初は百万基の塔がつくられ、東大寺や法隆寺、薬師寺、興福寺などの十大寺にそれぞれ十万塔ずつ奉納されましたが、その多くが焼失し、現在では法隆寺のみに伝わっています。この百万塔も法隆寺伝来の品で、明治41年(1908)6月11日に本間家の寄進に応じて法隆寺から贈られたものです。

眠斎賦春屋宗園筆

酒田市指定文化財

みんさいふ眠斎賦
しゅんおくそうえん春屋宗園 筆

慶長7年(1602)※昭和40年(1965)度に収蔵(本間家寄贈)

 春屋宗園(1529~1611)は、桃山時代の臨済宗の僧で、大徳寺第111世。後陽成天皇より「大宝円鑑国師」の号を贈られ、千利休、古田織部、千宗旦などの参禅の師としても知られています。
 この「眠斎」は、覚甫老人の書斎の扁額に与えた銘記で、その意味を問われたので、四言四句の短偈を書いて答えたものです。偈とは仏語で、仏の功徳をたたえた詩のことです。
 庄内藩主酒井家より本間家へ伝来しました。

木彫芭蕉像

もくちょうばしょうぞう木彫芭蕉像

江戸時代中期(18世紀)頃※平成7年(1995)度に収蔵(藤井治康氏寄贈)

 この芭蕉像の作者については分かっていませんが、「芭蕉庵の庭前の柳の木で門弟が師を偲んで彫ったものであり、仏頂和尚の遺偈とともに庵の什物であったものが門流の違和に際して流出した」という話が伝わっています。この芭蕉像は、美濃派の神谷玄武坊から武長百合坊が譲り受け、藤井家へ伝わり、本間美術館の収蔵となりました。
 この木像の芭蕉は、いかにも武家出身らしい肩のはった厳しい表情で、風雅に徹した崇高な風貌をしています。俳諧の祖として祀られ、人々が香をたくのにふさわしい姿です。

玉志亭唱和懐紙 松尾芭蕉筆

山形県指定文化財

ぎょくしていしょうわかいし玉志亭唱和懐紙
まつおばしょう松尾芭蕉 筆

元禄2年(1689)※昭和40年(1965)度に収蔵(本間家寄贈)

 元禄2年(1689)6月、松尾芭蕉が『奥の細道』行脚中の酒田で、近江屋三郎兵衛(俳号・玉志)宅に招かれた折に、瓜のもてなしを受けて即興で詠んだ句を染筆したものです。
 句のない者には瓜はおあずけという座興に、一座の人々が詠んだ四句が書かれています。芭蕉の句「初真桑 四にや断ン 輪に切ン」は「ご馳走に初物の真桑瓜が出された、いかにも美味しそうだ。さあ、四つに縦割りにして食べようか、横に輪切りにして食べようか」の意。宴の場らしい、即興の軽い句で、主人への挨拶の気持ちが込められています。芭蕉の酒田来訪時より、当地に残った唯一の遺墨でもあります。

蕪村自筆句稿貼交屏風 呉春画

蕪村自筆句稿貼交屏風 呉春画

山形県指定文化財

ぶそんじひつくこうはりまぜびょうぶ蕪村自筆句稿貼交屏風
ごしゅんが呉春画

江戸時代中期(18世紀)※平成7年(1995)度に登録(本間順治氏寄贈)

 与謝蕪村(1716~1783)は、江戸時代中期の俳人で、池大雅とともに日本の文人画を大成した画家でもあります。
本屏風は、蕪村が書き留めていた『自筆句帳』を切り離し、右隻に春夏、左隻に秋冬と、四季の順に貼り交ぜ、余白に門弟の呉春(月渓)が句意に因んだ画を添えた作品です。
 蕪村の死後、門弟たちは蕪村の娘・くのの結婚資金にあてるために、蕪村の自筆句稿の断簡などに挿絵や鑑定を付して売りに出した「嫁入り手」と呼ばれる作品があり、「夜半翁草稿」「呉春鑑定」の落款がある本屏風もまたその一つになります。

ボリサリノの女 棟方志功(木版・手彩色)

ボリサリノの女 棟方志功(木版・手彩色)

昭和35年(1960)※昭和35年(1960)度に収蔵(棟方志功氏寄贈)

棟方志功(1903~1975)は、日本を代表する木版画家。昭和31年(1956)のヴェネツィア・ビエンナーレで日本人初の版画部門最高賞を受賞。本間美術館で展覧会を6度開催。

婦人像(習作) 黒田清輝

ふじんぞう婦人像(習作)
くろだせいき黒田清輝

明治22年(1889)※昭和41年(1966)度に収蔵(本間家寄贈)

 黒田清輝(1866~1924)は、明治から大正にかけて、日本の近代洋画の発展に尽力した洋画家。本作は、黒田が画家を志しフランスでアカデミックな絵画修学し、官製展覧会であるサロンに初入選した頃のデッサンです

旅人 瑛九

たびびと旅人
えいきゅう瑛九

昭和32年(1957)※昭和33年(1958)度に収蔵(購入)

 生涯、子どものような「心の自由」をもって絵画の実験と冒険の旅をつづけた瑛九が、リトグラフに熱中した1957年に制作した作品。前衛芸術の先駆者としての孤独と夢が、森の中をさ迷う人影と風船という独創的なイメージで表現されています。

三囲之景 司馬江漢

酒田市指定文化財

みめぐりのけい三囲之景
しばこうかん司馬江漢

天明7年(1787)※昭和40年(1965)度に収蔵(本間家寄贈)

 司馬江漢(1747~1818)は、江戸時代後期の洋風画家。天明3年(1783)日本初の腐蝕銅版画の制作に成功しています。「三囲之景」と「広尾親父茶屋」は、手彩色の腐蝕銅版画で、遠近法を用いた構図は「眼鏡絵」と呼ばれ、「のぞき眼鏡」によって立体感を感取する表現となっています。

布袋図香川黄中賛 伊藤若冲筆

酒田市指定文化財

ほていず布袋図
かがわこうちゅうさん香川黄中賛
いとうじゃくちゅう伊藤若冲 筆

江戸時代中期(18世紀)※昭和40年(1965)度に収蔵(本間家寄贈)

 伊藤若冲(1716~1800)は、色彩豊かな著色画や略筆の水墨画を多く描き、特に鶏を描くことを得意とした、江戸時代中期を代表する画家です。
 本図は、禅的な機知性と温かいユーモアを備えた独自の水墨略画体によって描かれており、張りのある美しい曲線で描かれた布袋は、大きな袋を下ろし、三日月型の目、下がった眉、眉間のシワなど、やや悩ましい表情を浮かべています。画中には京都の歌人・香川黄中(1745~1821)の歌賛があります。

まのあたり顕れ にける身をしらで 其暁を人やまつらむ

鼬図 円山応挙筆

山形県指定文化財

いたちず鼬図
まるやまおうきょ円山応挙 筆

明和7年~安永元年頃(1770~72)※昭和40年(1965)度に収蔵(本間家寄贈)

 円山応挙(1733~95)は、リアリティのある絵画を追求し、平明で美しい写生画法を形成した、江戸時代を代表する画家です。
 画面いっぱいにほぼ等身大の鼬の全身図と、余白にはさまざまな角度から写した五図が描かれている作品です。輪郭線を用いず、細かい筆による毛描のみによって体を表現し、体毛の柔らかさ、体のしなやかさを捉えて描かれた鼬からは、応挙の卓越した描写力が伝わります。
 円山派の森寛斎(もりかんさい)の遺愛品として伝わり、落款はありませんが、応挙自筆の「鼬」の墨書があります。

色絵鳳凰草花文八角鉢

いろえほうおうそうかもんはっかくばち色絵鳳凰草花文八角鉢

江戸時代前期(17世紀後半)※昭和40年(1965)度に収蔵(本間家寄贈)

17世紀後半の肥前有田の柿右衛門窯製と思われる優美な鉢。
濁手と呼ばれる乳白色の素地に、鳳凰文や牡丹文が映えています。

色絵葡萄鳥文瓢形水注 

酒田市指定文化財

いろえぶどうとりもんひさごなりすいちゅう色絵葡萄鳥文瓢形水注

※昭和40年(1965)度に収蔵(本間家寄贈)江戸時代前期(17世紀後半)

肥前国(佐賀県)有田にて柿右衛門様式でつくられた把っ手つきの色絵水注です。17世紀後半頃に海外向けの製品としてつくられましたが、本間家に伝わっていることで、国内での流通を示す貴重な作品です。

黒楽茶碗 銘さび介 長次郎作

酒田市指定文化財

くろらくちゃわん黒楽茶碗
めいさびすけ銘さび介
ちょうじろう長次郎 作

桃山時代(16世紀)※昭和40年(1965)度に収蔵(本間家寄贈)

 千利休の指導のもと楽焼を始めた長次郎の茶碗です。黒の色に数寄の心を求め、端然とした姿は無作為のように見えて手に馴染みおさまる大きさと重さがあり、計算された造りであることが分かります。千利休の侘茶の理想をかたちに示した茶碗です。

青磁牡丹唐草文大花瓶(指定名称は砧青磁浮牡丹花生)

山形県指定文化財

せいじぼたんからくさもんだいかびん青磁牡丹唐草文大花瓶(指定名称は砧青磁浮牡丹花生)

中国・元時代(14世紀)※昭和40年(1965)度に収蔵(本間家寄贈)

 中国・元時代の浙江省(せっこうしょう)龍泉窯(りゅうせんよう)で焼かれた、天龍寺青磁と呼ばれている大花瓶です。この作品のように口部が大きく外に反った尊形の大型瓶は、香炉や燭台とともに一対で寺院の祭壇を荘厳するためのもので、鎌倉や京都の寺院を中心に伝世しています。
 加藤清正が文禄の役(朝鮮出兵)で朝鮮より持ち帰ったという伝承があり、子の忠広が出羽庄内丸岡に配流となった際に持参し、のちに庄内藩主酒井家より本間家へ伝来しました。長い時を経て一対での伝世は貴重です。

偶 像 ロボ・バルタザール

ぐうぞう偶 像
ロボ・バルタザール

昭和25年(1950)※昭和27年(1952)度に収蔵(購入)

ロボ・バルタザール(1910~93)は、スペインの工芸家。
《偶像》は昭和26年のサロン・ド・メ東京展出品作。