公益財団法人 本間美術館は、「公益」の精神を今に伝え、近世の古美術から現代美術、別荘「清遠閣」の緻密な木造建築の美、「鶴舞園」、さらには北前船の残した湊町酒田の歴史まで楽しめる芸術・自然・歴史の融合した別天地。

公益財団法人 本間美術館

Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館

企画展のみどころ

企画展のみどころ

公益財団法人 本間美術館 [山形県 酒田市] > 展示スケジュール > 【美術展覧会場】本間家の逸品

【企画展】本間家の逸品

  • 会期/2024年4月8日(月)~5月28日(火)
  • 本間美術館・美術展示会場
  1. 主催/公益財団法人 本間美術館
  2. 共催/山形県・(公財)山形県生涯学習文化財団
  3. 後援/酒田市・酒田市教育委員会
  4. 開館時間/午前9時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
    1. 入館料/一般/1,100円(990円)
    2. 高・大学生/500円(450円)
    3. 小・中学生/無料
    4. ※( )内は15名以上の団体入館料
    5. 上記入館料で国指定名勝「本間氏別邸庭園(鶴舞園)」「清遠閣」もご覧いただけます。
  5. 休館日/12月:火・水曜日

学芸員によるギャラリートーク

◉日時/2024年4月28日()・5月12日()各日午前11時より

  • 会場/美術展覧会場
  • 料金/無料 ※要入館券、自由参加

東日本を代表する豪商・本間家。中興の祖・三代光丘の愛蔵品も公開!

 江戸時代に酒田湊の繁栄にともない、商業、金融、地主の三つの事業を展開して多くの財を成し、東日本を代表する豪商、日本一の大地主として知られるようになった本間家。
酒田の経済をはじめ、文化、教育、福祉など多方面にわたる社会事業に私財を投じ、数々の功績を残してきました。
また、庄内藩や米沢藩をはじめとする東北諸藩への支援を行い、財政改革にも尽力しています。
本展では、本間家が藩主や政府の要人などから拝領・伝来した品を中心に、特に貴重な選りすぐりの逸品を紹介します。
あわせて、本間家の中興の祖と称された三代光丘(1732~1801)の愛蔵品とされる作品も公開しますのでお楽しみ下さい。

本間 光丘ほんま みつおか
享保17(1732)年~享和元(1801)年

酒田を代表する豪商・大地主。本間家三代当主。商人でありながら武士の身分を与えられ、
その卓越した経営手腕で庄内藩をはじめ東北諸藩の財政改革に尽力。
寺社仏閣への寄進、飢饉に備えた米の備蓄、失業・防火対策、飛砂防止のための植林事業などの公益事業にも力を注いだ。
俳諧を好み、美濃派俳諧を神谷玄武坊に学んで「其山」と号した。本間家の中興の祖としても知られる。

《本間光丘像公巌賛》 
江戸時代中期(18世紀)
当館保管 酒田市指定文化財

後西天皇
《宸翰御和歌懐紙「麓をば」》 

後西天皇(1637~1685)は、後水尾天皇の第8皇子で、第111代天皇。本書は、伊勢(三重県)の三日市太夫次郎より本間家3代光丘に贈られたものです。「不神祭不須掛」(神祭にあらずんば掛くるを須ひず)と光丘自筆の箱書きが示すように、本間家では代々大切に扱われてきました。

西郷 隆盛 
七言絶句「三宵連雨」 
明治8年(1875)
酒田市指定文化財

西郷隆盛(1828~1877)は、号は南洲といい、大久保利通、木戸孝允(桂小五郎)とともに「維新の三傑」の一人と呼ばれています。
本書は、明治8年(1875)6月、本間家7代当主・本間光輝が旧庄内藩士数名とともに鹿児島を訪ねた折に、西郷より揮毫して頂いた漢詩の内の一点です。

狩野探幽
《龍頭観音・野馬・柳牛図》 
江戸時代前期(17世紀) 
酒田市指定文化財

狩野探幽は、狩野孝信の長男として京都に生まれます。幼くして天才を発揮、幕府より鍛冶橋門外に屋敷を拝領し、鍛冶橋狩野家を興して、江戸狩野の基礎を確立しました。本図は、探幽が法印(画家としての最高位)に叙せられた61歳以降の晩年の作で、本間家が米沢藩主・上杉家より拝領したものです。

本間北曜
《アメリカ船図》 
嘉永6年(1853) 
酒田市指定文化財

本間北曜(1822~1868)、本名・郡兵衛は江戸時代後期の洋学者。本間家の分家として酒田に生まれる。幼少より学問を好み、江戸に上り蘭学を修めるとともに葛飾北斎から絵を、竹陽斎友信から彫刻を習う。藩書調所において洋書の翻訳に従事。勝海舟の請いをうけて勝塾の蘭学教師となり、海軍術伝習の通弁となった。
本図は、本間北曜が嘉永6年6月5日に浦賀港の灯明堂からペリー艦隊を写生し、江戸に帰った後に清書したもの。ペリー艦隊を描いた絵画や刷物の多くは横浜再航時(2回目)のもので、本図は、第1回浦賀来航時にペリー艦隊を実際に見て描かれた絵画として、現存する唯一のものと思われる。

《不動明王三大童子五部使者像》
鎌倉時代前期(13世紀) 
山形県指定文化財

不動明王は、瑟々座に結跏趺坐し、右手に火焔のある利剣、左手に索を持ちます。本図は、滋賀県・園城寺の不動明王画像と同じ図様で、智証大師が持ち帰った図像を忠実に写したものとして重要です。大正13年(1924)に酒田・浄福寺より本間家に伝わりました。

《青磁牡丹唐草文大花瓶》 
中国・元時代(14世紀) 
山形県指定文化財

中国・元時代の浙江省龍泉窯の青磁瓶は、鎌倉時代から室町時代にかけて数多く日本に舶載されています。この花瓶は加藤清正が文禄の役で朝鮮より持ち返ったという伝承があり、三男・忠広が出羽庄内丸岡に配流となった際持参し、後に庄内藩主・酒井家を経て本間家に入ったものです。

《百万塔 附自心印陀羅尼》 
奈良時代(8世紀) 
酒田市指定文化財

百万塔は、宝亀元年(770)に孝謙天皇(後の称徳天皇)の勅願によってつくられた木製の小塔です。塔身の中には延命や除災を願う経文「陀羅尼」が納められており、現存する世界で最古の印刷物といわれています。当初は百万基の塔がつくられ、東大寺や法隆寺、薬師寺、興福寺などの十大寺にそれぞれ十万塔ずつ奉納されましたが、その多くが焼失し、現在では法隆寺のみに伝わっています。この百万塔も法隆寺伝来の品で、明治41年(1908)に本間家の寄進に応じて法隆寺から贈られたものです。